これは、
塾を開業した時からずっとそうです。
まず、
①生徒が真剣にやる保証がない。
私の威厳のなさのせいではありますが、
ただでさえ勉強が苦手な子たちが、
家で、教師の監督のないところで、
一生懸命調べたり考えたりして宿題に取り組むことを期待するのは、
荒唐無稽です。
全員、とはいいませんが、
どうしたって「やっつけ仕事」になるに決まっています。
②出さない子がいたら対応(指導)しなければならない。
「あっ、家にノート忘れてきてしまいました!」
「やろうと思ったんですけどわかんなくて・・・」
そんなセコイ言い訳をする子から、
教師の様子を与し易しと見抜き
「あー忘れましたー」
と平然と言うようになる子まで、
バラエティ豊かなサボりのパターンが、
もう手に取るように想像できちゃいます。
2ページやらなかった子がいたら、どうするんでしょうか?
授業後に何時間も残してやらせるんでしょうか?
③出したら出したで対応しなければならない。
一生懸命やって出した子
テキトーにやっつけで出した子
〇と×だけくれて終わり、にするんでしょうか?
間違っていたところは「模範解答見とけ」で済ますんでしょうか?
テキトーに埋めた子は、出しただけで良しとするんでしょうか?
④貴重な授業時間が削られる。
授業の時間を使って、宿題の答え合わせや解説をするとしたら、
その分新しい単元を勉強する時間が削られます。
授業の時間内にノートチェック・添削?
あいにく弊塾は私一人でやっているので、
マルチタスキングのできない私には
それはできそうにありません。
⑤中学生は、忙しい!
中学生は、学校にいる間、
勉強なんかする暇がないくらい忙しいのです。
休み時間は、常に何かの準備。
先生に呼び出されたりもします。
委員会があったり、委員会の準備があったり、委員会の準備の準備があったり。
放課後は部活。
その後、塾や習い事。
あっという間に10時・・・。
その忙しさは、
下手なサラリーマンの比でないと思うほどです。
先日あるお母様から、
「(よその塾で)大量の宿題を出されて心折れる子たちを見てきているので」
と伺い、
弊塾の方針はたぶん間違っていないと思いました。
宿題といいますか、家庭学習の意義を否定はしません。
継続してコツコツ、復習や練習をすること。
それは勉強に絶対必要です。
だから
弊塾でも「毎日英作文」を毎日がんばってもらっています。
でも
その分量は、こんな程度(↓)です!!
たぶん10分もあれば終わるのでは。
そんな程度です。
やってくれてみんなありがとう、お疲れ!という感じです。
「小人閑居して不善を為す」
「忙しさこそ美徳」
そういう考えが、世の大人サイドには強いのではないかと思います。
でも、
「school」がギリシア語の「スコレー(σχολή)」からきたといわれるように、
「余裕」とか「ひま」もまた大事であります。
精神論も大事ですが、
中身の無いことはしたくない、
私はそう思います。
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