オーストラリアで先月末、
16歳未満のSNS(SNSという言葉は海外では使わず、「ソーシャル・メディア」というそうですね)を禁止
という法律が可決されたそうですね。
オーストラリアの議会(日本の国会に相当)が可決した法律によると、
メッセージアプリやオンラインゲーム、YouTubeは引き続き利用できるが、インスタグラム、ティクトック、フェイスブック、Xなどが規制対象
とのこと。
若年層のSNS利用が暴力やいじめ、自殺などを助長しているという懸念が欧米で強くなっている、学校や地方レベルでは禁止や規制の動きが出始めている
とチラホラ聞くようになりました。
う~ん、どうなんだろう?
趣旨には個人的に賛成しますけど、
規制なんかできるものかなあ?
抜け道なんかいくらでも見つけられるんじゃないかなあ。
いにしえの禁酒法のように。
ネット(というかスマホ) の時代になって、
「人間どこでも変わりはない」
ということがはっきりしたように僕は思います。
20年くらい前は
「欧米の人たちはこんなに個人主義に立脚して生きている」
「ラテン系の人たちは明るく人生を謳歌する価値観をもっている」
「モンゴルの人たちはこんなに自然とのつながりを大事にして生きている」
「イスラム教徒たちは我々が失いつつある精神性を大事にして生きている」
なんて本が、世の中にはたくさんあった気がしませんか?
(いや、僕がそういうのに惹かれてたってだけですね💦)
でも、いま現実には
欧米の人もラテン系の人もブータンの人もアラブ人もアマゾンの先住民も
老若男女の区別もなく、
スマホに釘付けになってゲームにふけったり、
「先が丸いスプーンと尖ったスプーンとどっちがいいか論争」で熱く?なったり、
「〇〇すぎる〇〇」にウン十万いいね!が殺到したり、
K-Popに夢中になったり(K-Popをディスっているのではありません。念のため)、
「フィリピン発〇〇料理にチャレンジ!」みたいな写真を競ってアップしたり、
フェイクニュースに踊らされたり、
なんのことはない、
どこの人間も変わりはしないなー、と。
少々寂しいことではありますけどね。
でも幻想を持っていてもしょうがない。
子どもに話を戻すと、
スマホ、SNSにふける子どもら、
というのは大人(僕ら)にとってあまりいい印象を与えてくれるものではありません。
でも、中身は子どもなんです。
僕と向かい合って勉強している間は、スマホがどうこうとか関係ない。
スマホの波は食い止められるものではない。
そんな大きいことは論じず、
向き合っている勉強の時間に全身全霊を尽くそうと思います。
Comments