2020年の今頃
初めは
「中国・武漢で新型肺炎が大流行」みたいなニュースだった気がします。
「うっわ、大変なことになってるなあ」
「さすが中国、政府もやることが手荒いなぁ」
みたいな。
それからあれよあれよという間に
ヨーロッパに広がり
ロックダウンとかが始まり、
アメリカにも広まり
「コロナチャレンジ」とかやった若者が死亡した、とかいうのでパニックになり、
そして日本にも上陸し、
志村けんさんが亡くなったというあたりからパニックが広がり、
3月には突如日本中の学校が休みになり・・・
なんだかもう遠い昔のことのようですね。
当時大騒ぎして喧々諤々やっていたことで、もうけろっと忘れていることもたぶんたくさん。
太平洋戦争(1941-45)のときもそういう風に過ぎていったのかなあ。
その間に、まだ中1だった息子は高3になり、娘は、と
確実に時は流れていきました・・・。
ところで、
2019年ころ、独立を考えていたころに
僕はネットで、ある塾(M塾とします)のブログを見つけ
度肝を抜かれました。
まず、教室にぎっしりの生徒の数。
建物の前にびっしりの自転車の数!
なんじゃこりゃあ
都会だと塾ってこんななのか?!
でもそれよりも何よりも
毎日放たれるブログの投稿数!
毎日少なくとも10とか、
下手すれば20とか、
ブログが書かれて投稿されるのです。
しかもその内容が熱い熱い。
本質をえぐるものばかり。
すげー。
開業のころに参考にした塾のホームページやブログは他にもありましたが、
M塾は特別でした。
M塾のブログを読むことが日課になっていきました。
で、コロナがやってきました。
ピンチのときこそ真価は発揮されるものですね。
それまで
教育
社会
これからの日本・世界
経営
生き方
を偉そうに語っていた人やものの多くが
僕の中でなんか色を失いました。
もちろん、みんな必死だったと思うのですが・・・
なんだか右往左往して、なすすべもなくて
政府の方針にすがったり批判したりで、
一気に頼りなく思えてしまいました。
そんな中でM塾は違いました。
M先生も必死だったんだろうとは思います。
でも、
まるで危機のときを待っていたかのようでした。
俺は止まらないぞ
動きながら考えるんだ
みんなついてこい
という感じでした。
次々に繰り出される様々な手
生徒や親や不特定多数の読者を鼓舞するメッセージ
そんなものが、
日々刻刻ブログに投稿され続けました。
2020年春独立の矢先にコロナ
頭が真っ白になりかけた僕は
このブログのおかげで、止まらずにいられたようなものです。
「当面休校にします」とも
「大っぴらには言えないけど少人数だからうちはこっそりこれまで通りやります」
ともせずに。
そのブログに書かれていることを
必死で読み取って、できることを真似して、
できないことは自分で工夫しました。
ヤブの中をどんどん分け入っていく
その後を必死でついていくような気持ちでした。
その後
M塾はコロナをきっかけに急発進したような感じで、
ますます異次元な発展をされています。
僕は、お会いしたこともありません。
自分とは色々やることも考えも違うところがある
とは思います。
同業だからライバルでもあります。
が、
足を向けて眠れないなと思います。
これまでの人生の中で何人かいるんです。
すげーなこの人
ぶっとんでるなーこの人
なんて熱いんだこの人
という人たちが。
僕が「恩送り」できているのは
そういった人たちの100分の1にも満たないかもしれないけど、
そういうぶっとんだ人たちと出会えたことには
ほんと感謝しかないし、
自分ももっと頑張らなければ!
と思うのです。
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