「ある」と、私は思います。
家庭環境とか、そういう要素も加わるでしょうけど、
「生まれつき」もあるだろうと思います。
自分自身、苦手なものがかな~りたくさんあるのでそう言わざるを得ません。
まずスポーツは苦手。特に反射神経を要する球技系は全部苦手。それはもう、ぶざまなくらいに(でも、高校あたりで、持久力を要する長距離走などが割と得意とわかって嬉しかったです)。
次に理系科目、苦手。機械、コンピューター、IT、すべて苦手。将棋でもトランプでも頭を使うゲーム、苦手。法律とか事務仕事、苦手・・・挙げだしたらキリがありません。
だから、勉強の中核をどうしても占めてしまう「暗記」がそれほど苦でない子もいれば、どうしてもできない子も、そりゃいるだろう、と思います。
ただ、次のようなことは言えると思うんです。
①苦手と思っていたこと(勉強に限らず)が、何かのタイミングでできるようになる・好きになる可能性もあること。
私自身、「もう無理(泣)」と思っていたことが、あるとき、ひょっとできるようになった経験(「ブレイクスルー」というやつですね)が、何回もあります。
「苦手」というのが思い込みだった、という可能性もありますしね。
②自分が苦手な勉強も、価値ある学問であること。
理系の諸学問や機械やITに自分はまったく才能がありませんが、でもそれらは古代エジプト以来人類が研究を重ねてきた英知の結晶であり、それのおかげでこの自分も恩恵にあずかっている、ということを私は認めないわけにはいきません。
それを考えると、そういうのが得意な人にはリスペクトしかありません。
同様に、自分は事務仕事苦手ですけど、そういう人たちの仕事で命支えられているんだって思います。
そういうわけで、私のせめての願いは「勉強嫌ーい。オレンジ塾で英語とか数学とかやったけど、全然わかんなかったし、つまんなかったー」ってなってほしくない、というところに行きつきます。
だから、「基礎」はしっかりわかってほしい、せめて「基礎」はわからせてやる(嫌いになる前に)、と思うのです。
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