僕は上智大学文学部史学科というところを卒業しました。
もはや四半世紀前・・・
僕なんかが学問や史学について語るのはおこがましい、
のですが、
大学で学んだこと
について、ちょっと書いてみようかな。
(おこがましいというか、こっぱずかしいですが💦)
入学時は、
何もよくわかっていませんでした。
歴史が好きだから、
大学でもっと勉強しよう、くらいにしか。
どういうことをどういうふうに勉強するか
学んだことを卒業後どういうふうに役立てていくのか
なんも考えていませんでした。
まあお気楽な、
恵まれたお坊っちゃまですね💦
今の若者たちとは大違いです。
1,2年のときは、
一般教養(=歴史以外の必須科目)の授業もあり、
部活もあり、遊びもしで、
わけわからないまま経過しました。
そこまでで歴史学の基本を学び✨
3年で所属ゼミを選び、
少人数指導のもと、専門的・本格的に学んでいく、
ということになっていました。
3年になり
僕はイスラム圏(の中のアラブ地域)の近現代を勉強したいと思っていた僕は、
東洋史のゼミの一つに入りました。
大学での歴史学の勉強。
それは歴史の本を読んで楽しんだり、覚えたりすることではありませんでした。
証拠と理屈の世界
でした。
学生は順番で、
テーマを見つけて、発表しろと言われます。
発表は年に何回か回ってくるので、
その過程で
テーマについて調べたこと→問題点の発見→それについて調べたこと・・・
というふうに発表の内容は深まっていきます。
そこでの内容は、
すべてちゃんと資料(史料)の裏付けがなければなりません。
「君、こう書いてるけど、出典は?」
「この史料、信頼性はどうなんだ?」
「この史料のこの記述から、そういうことが言えるか?」
「出典がないぞ?」
「この史料は、学問的に信頼できるとは言い難いな」
「それは理屈としておかしいんじゃないか?」
毎回毎回、
教授に鋭く言われて窮するのがゼミの時間でした。
夏休み、東洋史ゼミの合同合宿というのがあり、
3、4年生が参加し、
4年生が卒論に向けて中間発表することになっていました。
3年生は「聴く」だけで、お気楽なものでしたが、
4年生の女性の先輩が
教授たちの質問攻めに窮して泣き出す
のを見て震え上がったものです。
まあ、そういうゼミで討論することは、
楽しかったです。
聴いている側も質問や発言をしなければならないのは、もう当然。
ただ黙って座っていることをよしとしないのは、
そのときに身についたのかなと思います。
「出典は?」
というフレーズに影響されすぎたせいか、
学生の飲み会でどーでもいい話題(確か血液型による性格の違い、とか)で盛り上がっているときに、
「でもそれって証拠あるの?証拠がなかったら信頼できないよねー」
とか言い放って座を白けさせたこともあったなあ(苦笑)。
・・・・・
時は流れ、
僕も学問とは程遠いところに身を置いていますが、
「本当なのか?」
「確かなのか?」
「それどこに書いてあるの?」
と疑う癖は、
そのとき以来身についているような気がします。
情報が氾濫し、
よく調べもせずよく考えもせずに作って放たれた雑な情報
悪意あるフェイクニュース
悪意なくても有害なデマ
が我々を翻弄する現代で、
役に立たないスキルでもないと思っています。
・・・いやはや、昔話なんか書いてしまった。
全然華やかじゃないし💦
次はもうちょっとウキウキした話を書かねば💦
最後までお読みいただきありがとうございました!
確か20歳のとき、レバノンのトリポリという町で、声をかけてきた青年たちと。
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